浮いたもん勝ち

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当塾では、中学生は、定期テストの2週間前を目途に、学校の補助教材のチェックをする。

本来は、塾ですべきことではないのかも知れない。が、当塾の塾生は(いい意味で)元の出来が悪いため、そこまで口を挟む必要がある。現在の高校生が中学生の時もそうであった。

 

期限までに仕上げることが困難とこちら側が判断した生徒は、こちらからお声掛けをさせていただいている。

 

今まで怠け癖がついていた者が、勉強を頑張り始めると、当然周りから浮く。ただ、周囲との馴れ合いの関係を脱却するためには必要なことだ。ところが、現代っ子はそれが恥かしいらしい。その勇気を持つことが大切だし、それで解消されてしまう友人関係なら、その方がいい。頑張る人にはそれに見合った友達ができる。

 

前回の授業でこんな話をした。

「そんなに周りから浮くのが怖いか?そもそも君たちは、看板すらないようなこんな塾に入塾した時点で周りから浮いている。気が向いた時だけ勉強してみたり、気が向いた時だけ遊んだり、自分にとって都合の良い講師の言葉尻だけをつまみ食いしたりしているのは好ましくない。どうせなら、浮いて、浮いて、浮きまくれ

 

写真は、ある生徒が自習時に机の上に置いているメモ帳である。いつ、何をするのかが、明確に記載されている。ご丁寧に提出期限まで。この生徒の場合、ここまで来るのに小学生時代と合わせて3年かかった。こういう生徒は、何もかも投げ打って全力でサポートしたくなってくる。少しずつだが、浮き始めている。

 

「少しだけ出る杭」は打たれる。しかし、「出過ぎる杭」は打つ事すらできない。講師自身もそれを意識して、日々の授業や生徒対応にあたっている。

 

当塾は、それを理解していただいている強固な支持層に支えられている。

 

個人塾を経営する先生方の覚悟は、並大抵のものではない。

 

・全てのプライベートを犠牲にする覚悟

・風評被害を受けようものなら、地域全体が敵になるかも知れないという覚悟

・いつ職を失うかも分からないという恐怖と闘う覚悟

・ファンが増えればアンチも増えるという覚悟

 

汗と嘲笑にまみれて描いた青写真を必ず実現させるという想いを講師は常に持っている。だからこそ、中途半端な努力はしない。1月5日~3月14日まで、一日も休校日はない。そして、少なくとも今いる意識の高い生徒はそれを理解してくれている。明日も、最高の授業を炸裂させる。

素直な生徒のノート

当塾に限らず、塾に入って本当に素直にこちらの言うことのみを実践してくれる生徒は、入塾前よりもプラス100点程度なら達成が可能だ。

【ただし、努力の上での結果なので、「塾に入れば成績が上がるだろう」的な発想では無理】

 

ではどの程度の素直さを要するか?添付したノートお手本(中2)は、現在の中2の塾生で、最も素直な生徒の演習プリントだ。色分けも、図の描き方も、全て私が黒板で授業した通りの解法で行うことができている。当塾で結果を残している全ての生徒は、「こんな面倒臭いことしたくない」とは絶対に思わない。「よし、とりあえず言われた通りに完璧にやってみよう」という非常に柔軟な、スポンジのような吸収力を持っている。ある意味、塾の指示通りのことだけをやればいいので、他からの干渉が一切入らないため一番楽な方法だ。

 

勿論、色分けにもちゃんとした意味がある。なぜこんな面倒臭いことをさせるのかもしっかりと意図がある。これを数年続ければ、高校生になってから1か月で1500の英単語を覚えることも可能になる。

 

ただし、ここまで来るのにはかなりの月日を要する。上記の生徒も、半年かけて120点ほど点数が上がった。それが成功体験となり、今では毎日塾に自習に来ている。その表情に「嫌々来させられている」といった悲壮感はない。外見からして、入塾時と完全に別人になった。つまり、「塾が楽しい」と言ってくれている生徒は、「友達がいて休み時間にワイワイできるから楽しい」のではなく、「授業が面白くて分かりやすい→宿題と演習で定着させる→外見が劇的に変わる→結果、点数が上がる」この正のスパイラルを築くことができているのである。

※昨年末の中2理科の「湿度計算」の授業は大ウケでした、というか、全単元で強烈なインパクトを残して覚えてもらっていますが…

 

結局、これはどこの塾でも同じ。惰性だけで塾通いをするなら、そこの塾の先生に失礼だし、ゲームでもしていた方が有意義だ。

 

当塾が他と違うのは、以下の3点だけ。

①講師力(本物の個性を有し、突出した授業力を持つ)

※残念ながら、「若さ」と「さわやかさ」はありませんm(__)m

②サーヴィスの質(どこまでも泥臭く生徒と向き合う:ただし、やる気のある生徒に限る)

③真の小中高一貫指導(「同じ講師」が小学生から大学受験まで担当)

友達を見ればそいつが分かる

毎年この時期、楽しみにしていることの一つに、大学時代の仲間との新年会がある。職種も様々で、大手企業の社員・税理士・銀行マン・個人事業主etc.自分以外は立派な職業に携わっているし、彼らから異業種の話を聞くことができるのも勉強になる。

 

そんな彼らに会うたびに、ここ数年、決まって言われることがある。

「目が優しくなった」「考え方が随分変わった」「よく笑うようになった」「気配りがすごくできるようになった」結婚してからは「おしゃれになって若返った←(これは恐らく化粧水と服装のせい)」など、嬉しい言葉を沢山かけてもらえるようになった。勿論、意識などしていないし、第三者からの評価こそが、今の自分ということなのだろう。

 

正直、大学時代は勉学に勤しんでいたわけではない。しかし、頑張って勉強して良かったと心の底から思う。一生の財産とも言える友人に沢山出会うことができたからだ。これは、自分へのご褒美だと思っている。

 

だから、自分の結婚式に、大学時代の友人は全員呼んだ。母が「こんなに素晴らしい友達に巡り逢えただけでも、あんたは幸せだわ。本当に大学に入って良かったわ」と言っていたのが印象的だった。

 

そういった体験も踏まえて、生徒の友人関係にも口を出すこともしばしばある。友達を見ていれば自分がどういう人間なのかはすぐに分かってしまう。私の友人はどこに出しても恥ずかしくない人たちばかりだ。モラルの無い人間は一人もいない。馴れ合いの関係を築いている者も一人もいない。毎日を一生懸命頑張っている人には、ちゃんとそういった友人ができる。逆に負のオーラをまき散らすような人間は、やはり同種の者を引きつけてしまう。だから、「結婚式に呼んで親族に紹介しても恥ずかしくない友達をいっぱいつくれ」と生徒には言っている。

 

中3生の高校受験まであと2か月程、開校当初小6になりたてだった彼らの人生最初の関門を全力でサポートしていきたいと思う。

 

2015年も、同じ講師が小中高生を教えているという最強のメリットを活かし、授業は今まで以上に他を凌駕し、適正価格度外視の過剰サーヴィスを「頑張る生徒」に提供していきます。今年も考学館各務原校は、孤高の存在で在り続けます。

今年もありがとうございました

今日で年内の授業も最後です。

開校当初から通塾を続けてくれている高2生に加え、今年は、20名以上の高1生が新たに加わりました。HPも完成し、各方面の方々からも大変高い評価をいただいております。

 

当塾には、器用に物事をこなせるような人間は、生徒にも講師にもいません。もとの出来の良い生徒も1人もいません。だからこそ、我々講師は、採算度外視で、どこまでも「泥臭く」生徒と関わっていきたいと思います。

 

来年3月14日で考学館各務原校は開校丸4周年を迎えます。

 

そして、ようやく全学年(小5~高3)までがそろいます。いよいよ、「真の小中高一貫指導」の成果を発揮する時が来ました。当塾のHPにある「ここから始まる勝ち組への道」を実現させます。

 

そして、指導するのは我々「人生の負け組講師陣」です。その道のパイオニアになるべく、突出した授業力と生徒対応力で、来年も精進していきます。来年も考学館各務原校をよろしくお願いします。

 

 

※もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう。

「その通りだ」と。

出典:チェ・ゲバラの名言

「優しい」≠「甘い」~母の言葉より~

大学合格の当日、夕食の食卓に家族全員がついた時、母から予想すらしていなかった痛烈な一言を浴びせられた。それは「おめでとう」ではなく、「謝りなさい」だった。

今までどれだけの人に迷惑をかけてきたか、ということを認識させたかったという意図から発せられた言葉だった。それ程までに厳しく言われた言葉は、あれが最初で最後だろうと思う。

 

ただ、そのおかげで、周りの人への感謝の気持ちを持つことができた。そして、その一言が、「中卒でも俺は大学に受かったからすげぇんだ!ざまあみろ!!」という少しばかり天狗になっていた自分の心を打ち砕いた。

 

うちのしつけは「優しかった」が「甘く」はなかった「優しい」と「甘い」はまるで種類が違う。

「優しさ」の中には、必ず「厳しさ」が盛り込まれているからだ。つまり、ここでの厳しさとは、最低限の礼儀礼節・モラルのことだと認識している。そのおかげか、確かに小中高通じて、勉強は不得手だったが、友達は多かったし、友達の保護者からも「貴司君は礼儀正しい」とよく言われた。また、「可愛がられる場所が自分の家の中」だけでは無かった。数十年前は、「勉強はできなくてもしつけはしっかりしている子」は多かったと思う。結果的に、「素直」で「頭の中の風通しが良い」子が多かった。

 

つまり、「目はかけられていた」が「手はかけられていない」  ということである。

前者と後者をはき違えている状況もよく見られる。「手をかけられた子ども」は甘えん坊になる。甘えん坊は意にそぐわないことがあると「すねる」という特技を発動する。だから、基本的に「可愛がられる場所が自分の家の中」だけだ。第三者からは好印象は抱かれない。早急に矯正しなければ、社会に出てから大変なことになる。

 

子どものキャパシティが分かっているからこそ、当塾も「勉強しなさい」ということは極力言わないようにしている。耳にタコができるほど「勉強しろ」と言いまくって、「手取り足取り」の指導は、子どもの限界値を把握していない証拠だ。自分自身が本当の意味での勉強での成功体験がない場合、それをやりたがる。

 

私が短期間で偏差値を27から65まで上げることができたのは、「勉強しろ」と一度も言われたことがないことに加え、「頭の中の風通しが良かった」ので、自らの無知を自覚し、予備校の先生方の指示に素直に従うことができたからだと思う。

 

この考えは今の当塾の結果を残している生徒を見ても間違いはない。

だから、今後も生徒には「優しく」接していきたいと思う。