例外は作らない

2015 0208丹羽

6年前の中3生にある生徒がいた。(Nとしておく)

Nは能動的で、特に苦手の理数系の質問は、毎日必ず持って来た。

高校受験が近づいた最後の模試の前日にも塾に最後まで居残り、ひとしきり質問をして帰って行った。

 

翌日、自己採点をさせたら、理科が50点にも満たない点数であった。不安で涙声になるNをきつく叱った。

「君は質問を持って来る時、いつも友達と一緒だ。そんな馴れ合いの関係を続けていたら、間違いなく落ちるぞ」

 

そこで一つ、約束をした。

 

「何があっても例外は絶対に作らないこと」

 

受験まで、土日は8時~23時までの自習を義務付け、保護者様の許可をいただいた上で、多少の体調不良でも頑張ってもらった。その結果、無事に県内2番目の進学校に合格した。写真は、合格した後に黒板にされた落書きだ。

 

そして、大学に合格したNはアルバイトとして当塾に戻って来た。

色眼鏡無しに見ても、とにかく仕事ができる。私の社会人一年目よりもはるかに優秀だ。指示したことは的確にこなし、言われなくても雑務をこなしてくれる。きっと企業からも必要とされる有能な人材と成り得ることと思う。「ここで高校生の時に授業を受けたかったです。もっと早く前の会社辞めてたら良かったですね」と冗談を言って帰る後ろ姿を見て、言霊は伝わるということを改めて認識した、そんな一日だった。

 

結果を出そうと思ったら、例外を作ってはいけない。1回でも例外を作るとそれが普通になってしまう。当塾の中学生で290点を440点にした生徒、230点を360点にした生徒、260点を430点にした生徒。入塾当初、挨拶もできなかった高校生が学内1ケタ順位を獲り続けているのには共通点がある。

 

それは、例外を作らず、当塾を信じてくれたこと。この1点につきる。

 

上の学年の影響も受けて、最近では小5の生徒まで自習にやって来る。

 

塾全体が活気に満ちている「非日常空間」とも言えるこの雰囲気がたまらなく良い。

 

※余談ではあるが、体型維持のため、1年程前から腕立て伏せを週3~4のペースで100~150回(25回×4~6セット)やっている。例外を作らずにやり続けた結果、着られなくなったYシャツが3枚。ブロイラーのような大胸筋になってしまった。この間、最もガタイの良い高1生と何回できるか対決をしたが、楽勝だった。

 

この4年の変化

TS3V0189

今日から本格的に中1・2生の期末テスト対策が始まった。

それが終わると今度は高校生の学年末、中3生の高校入試、息つく間もなく日々か過ぎていく。毎年のことだが…

 

ふと、玄関に目をやって驚いた。特に指示をしたわけでもないのに、下駄箱に入りきらなかった生徒の靴がしっかりと並べられている。もちろん、生徒たちが各自でやったことだが、感慨深いものを覚えた。

 

思えば、開校した当初の小学生はひどいものだった。

塾内でお菓子を食べようとする、食べ物のゴミを捨てようとする、階段を四つん這いになって登る、リュックはチャックが空いた状態でやって来るetc.

 

最初の数か月は常に授業の冒頭は「諭し」から始まった。前職時代は、一つの校舎に講師が複数名在籍していたので、「叱る人」「フォローする人」「楽しませる人」など、きっちり役割分担が可能だった。

ところが、この規模の塾だとそうはいかない。全ての役目を一人で担わなければいけない。

 

ある時は「生徒を頭ごなしに叱りつけるヒステリックな講師」ある時は「最高に分かりやすい授業をする講師」また「親身にお客様の相談に応えるカウンセラー」さらには「精神年齢が小学生並みのアラフォー」一人で何役も使い分けた。

この4年の間で自分自身も成長できたと思うし、授業もさらに洗練されている。今日の中2の理科の授業も大盛況だった。昨日の高2の英語も十分理論的に大学入試の過去問を解説できたと自負している。これは自惚れではなくて確信だ。なぜなら、生徒以上にこちらが一コマの授業に対して、「失敗したら明日は一人も生徒が来なくなるかも知れない」という想いで臨んでいるからだ。そのための努力は、前職時代の比ではない。

 

先に述べた「人並み以上に手のかかる生徒たち」も今や中3生。そんな彼らが今や、「僕は高校に進学した後、○○大学に行きたいです」と自信を持って答えてくれたりする。

 

この4年に渡る生徒とのやりとりも決して無駄では無かったと改めて思った。講師の立場からすると、ここでしか味わえなかった感覚だ。

 

生徒の成長は大人が望むようなスピードでは進んでいかない。こちらの思い通りにいくと思ったらそれは思慮が浅いと言わざるを得ない。たとえ他者が諦めても、当塾の講師は諦めない。今の自分を何とか変えたい、と望む者であれば、今の勉強の出来などどうでもいい。

 

全力でサポートしていく。

自己否定しろ~ニートの経験より~

 

一昨日、昨日と塾で提出を義務付けているワークのテスト範囲の箇所のチェックを行った。

毎回、数名の生徒が忘れてくる。彼らの言い訳が実に多種多様で面白い。

「見通しが甘かったです」「分からない問題があって…」「時間が無くて」

 

時間は腐る程ある。現に、ある中1男子は提出期限の2日前に見せに来ている。1月9日の日報で紹介した生徒だ。分からない問題があったら質問しに来ればいいだけの話。見通しが甘いなら、事前に塾の自習室などを能動的に活用して終わらせることも可能だったはずだ。

 

彼らに共通していることはたった一つ。「自己否定ができない」という点だ。

これはどういうことか?

 

私は、高校を中退した後、一つ目の会社を退社した後、二つ目の会社を退社した後、計3回人生でニートを経験している。ニートになりたての頃は、反省の「は」の字もしない。そして、絶対に周りを認めることをしない。いや、認めたくないのだ。自分がいるぬるま湯や馴れ合いの関係を壊したくないがために、自己正当化をする。あげくの果てには「こんな自分も格好いい」とか思ったりするのである。自分がいかにダメな人間かということが分かっていながら。それが何か月も続いていく。

先に述べた生徒もまったく同じ状況だ。「塾で勉強するのはダサイ」とかいう取るに足らないような下らない見栄を持っている者もいる。

 

 

ただ、ごく一部ではあるが、そんな状況から脱出できる人間もいる。

それが、「自己否定」することができた人間たちだ。

「究極のマイナス思考」や「自己否定」ができた時、それは大きな飛躍の材料になる。

このままではもうおしまいなんじゃないか?
33歳にもなって無職なんて人として終わってるな…

今、自分がいる場所がいかにどん底か、「真の反省」をした時に、周りの目など気にはしていられない。「素直さ」が芽生える。人に教えを請い、何とか今の状況から脱却しようと試みる。それは、「野良犬」にすら近い感覚と言えるかも知れない。

 

実際、当塾の月謝は、私が前職時代に大変お世話になった保護者の方々と相談して決めた。

言いにくい意見もどんどん言っていただいた。人に聞くことなど恥ずかしくもなんともない。授業の内容にしてもそう、「俺は前の塾でナンバー1だったんだ」という変なプライドもかなぐり捨て、参考にできる点があれば、他塾の若い講師からもどんどん意見を吸収するようにしている。

 

塾に来て勉強することは恥ずかしくもなんともない。自宅で出来ていないから素直に塾に来て、質問攻めにすればいいのだ。最高ランクの講師がいつでも対応するのだから。

 

中3生にも、今日の授業で同じ話をした。

 

現状を脱却したければまずは「自己否定してみせろ!!」と。

消費じゃなくて投資を

自習室

数年前のあるデータによると、岐阜県は、子どもにかける教育費の金額が全国で4位だそうだ。それにも関わらず、都市の難関大学への合格者数はかなり少ない。

 

この地区だけでもかなりの数の塾がある。しかし、学校のテストの平均点はこの10年くらい横ばい状態だ。理由は簡単。塾にお金を「消費」しに来ている生徒が山ほどいるからだ。これは決して塾の責任ではない。

 

そうではなくて、塾にはお金を「投資」するという感覚が大切だ。塾の授業料は、「消費」ではなくて「投資」するものだというのが、私の中の定義でもある。

 

そういった意味で、この間の日曜日の自習室は圧巻だった。元々は休校日の予定だったが、1人だけ期末テストが終わっていない中3生がいたため、急きょ開放することにした。たとえ、その中学に通う生徒が1人であっても、校舎は開放する。直前の予定変更は、HPに記載するので意識の高い塾生はしっかりとチェックしてくれている。中高校生の9割以上が自習に来たため、部屋は飽和状態。特に、数理に手こずる中2の生徒たちから山のような質問が投げかけられた。質問対応は講師にとっても大変勉強になる。その年々の生徒の傾向が分かるからだ。最後の3時間はこちらが休息する暇もないくらい、次々と質問を持って来てくれた。どの生徒にも誠心誠意対応させてもらっている。やり方を書いた紙を渡し、もう一度解くように指示する。これを繰り返せば、知識は自ずと定着する。

 

私は、「塾の講師は消耗品」だと考えている。これでもかというくらい利用してくれればこちらも嬉しい。逆に利用できない者は、ドリンクバーを注文しているのに、水しか飲まないのと同じといえよう。

 

私が何もかも犠牲にして、サポートしたいと思うのは、そういう生徒たちなのだ。

 

まれに、「恥ずかしがり屋な性格なので自分から質問ができない」という声を聞く。性格のせいにして現実逃避するのは楽だ。(甘えん坊と過保護な生徒はこのタイプが多い)

そもそも、性格は一生直らない。要は、性格でなくて、「考え方」の違いだけだ。性格は「おとなしい」けれど、こと勉強になると質問の鬼になる生徒は沢山いる。

 

家の中では「大事な大事な一人」でも、社会に出れば「その他大勢の中の一人」。甘えが許されるのは今だけ。そのことを実感してもらいたい。いい意味で「厚かましく」なれば、塾は最高の空間になるのだから。

カバンの中身が人間性

私の友人は四大卒が圧倒的に多く、子どもの年齢も大体小学生くらいである。仲間内で集まって、塾の話をすると、都市部で暮らしている友人からは、「え、そんなことまで塾がするの!?」「23時まで生徒がいるの?」「それでその月謝は安すぎじゃない」と驚かれる。このことからもわかるように、我々の時代の受験生と今の生徒ではまるで質が異なる。もちろん、ごく一部は誰から言われることもなく、放っておいても上手に周りの環境を利用して、良い成績をとる。

 

ただ、当塾にはそんな生徒は一人もいない。

したがって、どこまで塾が口を挟むか、は非常に大切な問題である。

 

昨日と今日で、中学生の「カバンの中身チェック」行った。授業開始前、生徒が着席した時に、講師が指示したものが机の上にすぐに置けるかどうかのテストだ。

「英語の本文プリント」「理科の塾用ノート」「数学の前回の授業プリント」など、指示を与えると、面白い現象が起きる。大半の生徒はしっかりと管理ができているが、中には、あわててカバンを整理してきたような生徒もいる。典型的な例として、プリントがきれいに二つ折りできていない。とりあえずクリアファイルに突っ込んできただけ。要るものと要らないものの仕分けができていない。科目もバラバラetc.この手の生徒に多いのが、「塾でだけ良い子」を演じるということだ。

 

人によって態度を変える、というずる賢い処世術を中学生のうちから身に付けてもらっては困る。塾でちゃんとできない者は、学校でもちゃんとできない。それで成績を上げて欲しいと言うこと自体ピントがズレている。間違いなく、どこの塾へ行っても成功しない。プリント1枚にしても紙代とコピー代というコストがかかっている。

 

当面の間、彼らは徹底管理することにした。

 

今はどこの塾でも「春の生徒募集」に向けて必死だ。私も、大手塾にいた時代は、春だけで50名以上もの生徒が入塾したこともあり、何度も表彰を受けた。ただ今は違う。看板も何もない。一気に何十人も生徒が入ってくることもない。その分、今いるお客様に最大限の自己犠牲を払ってサーヴィスを提供させていただきたいと思う。

 

だから、「やる気のある生徒にとって居心地のいい空間」にしていきたい。やる気の無いものに開かれる便利な自動ドアはどこにも存在しない。